松岡圭祐 KEISUKE  MATSUOKA 書き下ろし最新作!! 400万部突破シリーズ
千里眼の水晶体<解説>

■解説:中辻理夫(文芸評論家)


 ときの経つのは早い。松岡圭祐が『催眠』『水の通う回路』(『バリア・セグメント』に改題)に続く長篇第三作『千里眼』を発表したのは一九九九年六月のことだ。航空自衛隊の元空尉で戦闘機パイロットだった臨床心理士・岬美由紀を主人公にした本書は大藪春彦賞候補となり、翌年以降、シリーズ化された。昨年二〇〇六年まで七年間に亘り全十二作の〈千里眼〉シリーズが刊行され、いずれも好評を博している。累計で四百万部以上売れているというのだから、まさしく文字通りのベストセラー・シリーズなのだ。闘うヒロイン美由紀がエンターテインメント界にデビューしたのはつい最近のことのような気がしていたのだけれど、そうか、すでに七年も人気を持続してきたのか、と改めて本シリーズが放つ強大なエネルギーを実感した次第だ。
 十二作はすべて小学館文庫から刊行されているが、親本であるハードカバー本の内容をそのまま文庫化したわけではなく、新たな変更を加えている。こうした自身も臨床心理士である作者らしいきめの細やかさ、上質のエンターテインメント小説を徹底的に構築しようとする執念とも言えるこだわりを感じる。
 また、同文庫から昨年五月に書き下ろし刊行された最近作『千里眼 背徳のシンデレラ』では表紙に女優・釈由美子を登場させるという面白い試みを行なっている。インターネット上の作者公式サイトによれば〈当サイトのアンケート調査で選ばれた「最も岬美由紀のイメージに近い女優」〉が彼女なのだそうだ。
 すなわち、本シリーズはヒロインのキャラクターが、読者吸引力においてかなりのウェイトを占めているのだ。今や文芸ジャンル名として定着した感のあるキャラ萌え小説の一種なのだろう。ファンにとって美由紀はまことに愛しい、身近に実在する女性として具体的に視覚化したいほど魅力的なヒロインなのである。
 一作目『千里眼』のときから彼女のキャラクター造形は確立されていた。些細ではあるが当人にとっては深刻な少女期の体験をきっかけに、美由紀は人間不信と反権力の強い意志を心の中で鋳造するようになった。その性質が自衛隊入りにつながるわけだが、権力集団に所属することは明らかな選択の誤りであり、結局は臨床心理士の道へと軌道修正したのである。
 タフな戦闘機パイロットとしての経歴と、精神のバランスを失った少女を穏やかな態度でカウンセリングすることは彼女の心の中で矛盾しない。いずれの道も、癒されない自身の孤独な魂を救済するために選択したものだからだ。すなわち、パワフルな情熱と隙のない知性、人間不信と人間愛、といった一見すると対立していると思われる性質が、繊細過ぎる内面を基盤にして破綻なく共存できている。〈心のやすらぎ〉を求めて彼女がバイオリンを弾くシーンは実にたおやかで印象的であった。
 もちろん、新興宗教絡みの大規模なテロ、それに対抗する政府や自衛隊の緊迫した状態、そしてアクション・シーンといった大造りの展開は申し分ないけれど、その根底に美由紀の知性と繊細さが書き込まれていなければ、ただやかましいだけの安っぽいエンターテインメントになっていたかもしれない。
 さて、この度、本シリーズは新たに再スタートを切った。小学館文庫から角川文庫に引越し、書き下ろし三作が同時刊行される運びとなったのだ。同時ではあるけれど、作品歴の位置づけとしては『千里眼The Start』がこの新シリーズの第一作、『千里眼 ファントム・クォーター』が第二作、そして本書『千里眼の水晶体』が第三作だ。第一作の巻末に収められた「著者あとがき」で松岡圭祐は旧シリーズに濃厚だった〈ケレン味〉を新シリーズでは薄め、〈科学的視点が求められる設定については極力リアルに描〉くと強調している。
 第三作『水晶体』では、生物化学兵器の関わる事件が主軸に置かれた。日本臨床心理士会の事務局に一人の男がやって来る。羽田空港に勤務している国土交通省職員・米本だった。山形県庄内発羽田着の機内で乗客・篠山里佳子がトラブルを起こしているという。フライト中から洗面所に閉じこもり、際限なく顔を洗い続けているのだ。しかも、東京の空気は汚れているので外へ出たくないと主張していた。問題解決のため、美由紀は空港へ直行する。
 里佳子は極度の不潔恐怖症だった。美由紀の適切な説得が功を奏し、里佳子はホテルへ宿泊することを同意。そこへ山形県警の警部補が訪ねてくる。同県内で起きた山火事に放火の疑いが浮上し、それに里佳子が関与しているようだという。里佳子は断固否定するが、ほどなくして原因不明の昏睡状態に陥り、似た症状の者たちが美由紀の周囲でも続出し始める。これも山火事と関係した突発事なのか? 美由紀は原因究明に乗り出す。
 生物化学兵器、大規模な放火、不潔恐怖症、とスケールにおいてはあまり関連性のなさそうに見えるもの同士が、緊密なつながりを呈していくストーリー運びが実に巧い。そして深い。作者は国際紛争、犯罪、個人の抱える心の病を、区別することなく同系列の事柄、すなわち人の問題として捉え、紡ぎまとめることに成功している。人間の心に住む悪魔の謎を、精神医学の知識と技術で解き明かしていくミステリ的興趣が読者をぐいぐいと惹き込んでいくのだ。
 もちろん美由紀の反権力の姿勢、気持ちいいくらいに勧善懲悪の精神は本書でも健在だ。深みを増しつつ、ヒロイン・エンターテインメントの面白みも依然として追求し続けている作者の姿勢に好感が持てる。
                
 
(文庫巻末解説より)

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