松岡圭祐 KEISUKE  MATSUOKA 書き下ろし最新作!! 400万部突破シリーズ
千里眼 完全版<解説>

■解説:茶木則雄(書評家)


 驚いた。本書『千里眼 完全版』をひもといて、冗談ではなく、一読三嘆した。
『千里眼 堕天使のメモリー』のあとがきで著者が述べているように、角川文庫から刊行されている「千里眼」新シリーズには、これまでと異なる二つの特色がある。著者自身の言葉を借りれば「読みやすさ」と「リアリズムの向上」だ。
 もちろん、旧来のファンはご承知のように、これまでの松岡作品が読みにくかった訳ではない。むしろ、スピード感溢れるテンポのいい文体、との評価が一般的であった。しかし文章には、必ずと言っていいほど無駄がある。だからこそ、作家たるもの何度も推敲を重ねるのである。無駄を省いたシンプルな文体は、読者の想像以上に高い技術を要するのだ。
 これまでの新シリーズはすべて書き下ろしだった。したがって文章そのものを具体的に比較する術はない。だが、改稿版の本書にはそれがある。ここで旧作との比較を細かに検討する紙数はないが、一言で言って「これぞブラッシュ・アップのお手本」のような仕上がりである。無駄を削ぐとはどういうことか、読みやすい文章とはどういうものか。作家志望者はぜひ、その目で確かめていただきたい。上手いなあ、と少なからず感嘆するはずである。
 実際、旧作と比べると、読んでいて引っ掛かる箇所がまったくないことに驚く。旧作には、起伏に富んだでこぼこの悪路であろうが馬力で読ませるような部分があった。が、本書は車で言うところのサスペンションが抜群で、実にスムーズなドライブ感を楽しむことができるのだ。極限まで切り詰めた短い文章によって、描かれる情景も一段と鮮やかに浮かび上がってくる仕掛けである。スピード感もさらに増し、まさに「以前よりもトルクの大きなエンジンを積んだクルマ」(『千里眼 堕天使のメモリー』あとがき)に乗った観がある。
 旧作との比較で言うなら、「リアリズムの向上」にも言及しておく必要があるだろう。「千里眼」シリーズを評するうえで、「荒唐無稽」というフレーズを私自身、何度か使ったことがある。たとえば小学館文庫版『千里眼の死角』の解説で、その、ハリウッド映画顔負けの大掛かりな舞台設定とストーリー展開を、「荒唐無稽と言えば荒唐無稽、破天荒と言えば破天荒な筋立て」と書いた。が、続けてこうも書いている。
「しかしそれを、まったくの絵空事に感じさせないのが、松岡圭祐の松岡圭祐たるところだ。(中略)作者は、持てる技量のすべてを使って、この一見、荒唐無稽な物語の中に、迫真のサスペンスと抜群のリーダビリティを構築している」
 ファンならご存じのように、それを根底で支えているのは、細部のリアルな描写であった。つまりディテールにこだわる姿勢は、松岡作品の一貫したスタンスなのである。著者の言う「リアリズムの向上」とは、松岡ワールドの娯楽小説を書くうえで、あえて現実から遠ざかっていた設定を今後は極力避け、可能な限りリアリズム(現実世界)に立脚する、そういう意味だ。と同時に、心理学や自衛隊に関する記述も、最新の情報を取り込んでいく。臨床心理士という職業も、旧作が書かれた八年前とは違い、今日では一般的な認知度が高まっている。ケレン味を醸し出すため設えたギミックを取り除き、これもまたより現実に即したものにしていこう、というのが作者の新シリーズにおける狙いである。旧作と比較すれば、その狙いは十全に果たされている、と言っていい。
 一読三嘆したのは、美容器具のコマーシャルではないが「使用前」と「使用後」ほど、極端に違うからだ。
 同じ物語がここまで見事に変わるのか。何度も言うようだけど、その変貌ぶりには驚嘆せざるを得ない。これはもはや新しい物語と言っても、過言ではないだろう。旧作になかったエピソードも人物も、少なからず盛り込まれているし、何よりも、読後感が明らかに違う。どう違うかは、旧来のファンの興を削ぐ恐れがあるので詳述はしない。が、爽快感と余韻は、旧作に比べて格段に高まっている。それだけは言っておく。
 とにもかくにも、この『千里眼 完全版』は、旧『千里眼』に比べて、すべてにおいて完全にバージョンアップされている。まさしく完全版だ。
 これまで述べてきた読みやすさやリアリズムの向上、または、読後の爽快感や余韻ばかりではない。人物造形、堅牢なプロット、考え抜かれた伏線、リーダビリティ、圧倒的なスピード感――あらゆる要素が、作家・松岡圭祐の大いなる進捗の跡を窺がわせる。書いていくうちに上手くなる作家は珍しくないが、もともと技量が高いうえにここまで目覚しい成長を遂げる作家も、そうはいないだろう。
 クライマックス――美由紀が、航空自衛隊航空総隊司令部に緊急事態を告げる電話のシーンは、思わず総毛立った。切迫した声でいきなり司令官を呼び出す人物に、何者かといぶかる隊員に向かって、彼女はこう声を荒らげる。
「岬美由紀二等空尉からアップルジャックに関する緊急連絡です!」
 元二等空尉ではない。あえて現役の二等空尉を自称するのだ。詐称ではない。これは、国を、愛する人たちを、自らの手で守るため死地に赴かんとする覚悟の表れである。未読の読者には伝わりにくいと思うが、アップルジャックの意味や緊急事態の恐るべき内容が分かれば、シビレルこと請け合いである。
 たった一言の台詞で読者を興奮に打ち奮わせるのだから、著者の上手さには唸るほかない。
 しかしそれにしても、ここまで読者第一に、真摯に作品と向かい合う作家がいただろうか。単行本読者と文庫読者の相違を考え、松岡圭祐はこれまでも大幅な改稿を繰り返してきた。「千里眼」シリーズと「催眠」シリーズ、それぞれに独立していたエピソードを巧みに繋げ、物語ワールドを構築し直して読者に新たな感興を与えて続けてきた。
 そしてさらに、多くの読者の要望に応え、文庫の旧作を完全なかたちでバージョンアップする。まったくもって、驚く以外にない。
 以前、小学館文庫版『千里眼とニュアージュ』の解説で、独自の作風で無人の荒野を疾走するエンターテインメント界の一大単独巨峰、松岡圭祐を評して、こう書いた。
 「松岡の前に松岡なく、松岡の後に、おそらく松岡はあるまい」
  言い直す。
 「松岡の前に松岡なく、松岡の後に、松岡はない」
                
 (文庫巻末解説より)



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